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2021年10月15日

台湾の事業家から学ぶこと

私は先日、めでたく(というのでしょうか)、傘寿(数え年の80歳)の誕生日を迎えました。おかげで私はすこぶる元気ですが、この年齢になると、両親、知人、友人をはじめ鬼籍に入ってしまった人が多く、思い出とともに一抹の寂しさを感じます。
つい先日も、40年にわたり公私ともにお世話になり、兄貴のような存在だった台湾の知人を喪いました(享年88歳)。この世代の台湾の人たちは戦前の国民学校で学んだ人が多く、話す日本語は日本人と変わりません。そして一様に大の「日本好き」が多いのも事実です。時代の流れとともに、こういった人物が少なくなるにつれ、残念ながら日台関係も現実的というか、普通の関係に変化していくような気がします。

私はこの度亡くなった知人のお引き合わせで、世界的な海上コンテナ輸送会社であるエバーグリーン・マリン社(長栄海運)の創業者・張榮發総裁と、仕事上のお付き合いが始まりました。同社との取引は1985年から始まり2001年12月に終了しましたが、それ以降も私は総裁が2016年(享年88歳)に亡くなるまで、公私にわたり大変ご厚誼を賜りました。なお。総裁は2011年の東日本大震災に際しては、私財10億円を被災地に寄付されたほか、救援物資の輸送にも社を挙げてご尽力をいただきました。それくらい「日本びいき」でした。
総裁は紆余曲折の戦中・戦後を歩まれた後、中古の貨物船1隻をもとに41歳の時、長栄海運を設立され、20年後の60過ぎには世界で三指に入る海上コンテナ輸送会社へと、事業を拡大されました。常識的にはここまで功成り名を遂げると、孫を相手に悠々自適の人生でも不思議ではありません。ところが総裁は62歳になられた時、それまで国営の航空会社1社しかなかった台湾で、初の民間航空会社・長栄航空(EVA Air)を設立され、新たに航空事業に参入されたのです。おそらくその後1000億円単位の投資をされたと思います。

私はある時、総裁に「なぜ今さら競争の激しい航空業界に進出されたのですか」と尋ねました。すると「この間乗った飛行機のサービスがあまりひどいから、自分でやってやろうと思った」とのことでした。もちろんそういった理由は別にして、総裁はグローバル化時代における航空産業の将来性を見込んでの決断だったと思います。
このように直感力を即行動に移す「アニマルスピリット」(動物的嗅覚)が台湾の経営者には脈々と流れているように思います。例えば、鴻海精密工業(電子機器の受託生産)の創業者・郭台銘氏や、TSMC(半導体)の創業者・張忠謀氏といったカリスマ性に富む経営者が多数存在します。本年、IMD(国際経営開発研究所)は、企業家精神に関する指標で台湾を世界トップに挙げています。また、世界経済フォーラム(WEF)は、台湾経済は「イノベーション駆動型」の段階に入ったとしています。同様のことはOECDも指摘しています。また、アジア、インドほか世界的に旺盛なベンチャーキャピタルが支えとなり、ユニコーン(企業価値評価額が10億ドル以上の未公開株)の数が我が国を大きく上回っています。
翻って、我が国の産業界が失っているのは果敢にチャレンジする「企業家精神」です。その背景は、①政府の産業政策や規制に頼り過ぎ、➁豊かになりハングリー精神を失った、③国内市場が主でガラパゴス化、④失敗に厳しい国民性から保身的傾向(横並び・前例主義)、⑤国際的に活躍できる人材不足、等々が思い付きます。いずれにせよこのままでは「どう猛さ」に欠け、世界で戦っていくには「ひ弱さ」を感じます。

「日本人よ、もっとしっかりしろ!」という、張総裁の流ちょうな日本語が聞こえてきそうです。

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