2020東京五輪オリンピックに続き、パラリンピックが数々の感動と思い出を残して9月5日(日)、幕を下ろしました。五輪の開催はコロナの感染拡大により1年延期されました。その間に事態の収束を見込んでいましたが、その期待は裏切られ現在も厳しい状況が続いています。
こういった中で、開催そのものに賛否両論があり、始まってからも無観客での競技を強いられました。また、細部では様々な問題も発生しましたが、何はともあれ「大過なく」終ったことに安堵しました。
その裏には選手自身と参加者の理解と協力があったことはもちろんですが、何にも増してボランティアを始め大会運営関係各位の、昼夜を徹しての献身的な働きがあったことは間違いありません。まさに日本人の底力(組織力・真摯に向き合う姿勢)が発揮されたように感じます。
もちろん今後に残された課題も山積しますが、大会終了後、国際パラリンピック委員会(IPC)パーソンズ会長から、「コロナ禍を考えると、日本のような大会開催は諸外国では出来なかった」といった高い評価がなされたのもうなずけます。
パラリンピックは1948年7月29日に英国の病院で開催された障害者によるアーチェリー大会に源を発したとのことです。パラリンピックの語源は「パラプレジア(下半身のまひ)」と「オリンピック」を合わせた造語で、前回の東京大会で初めて愛称として付けられたそうです。こういった経緯と歴史を、恥ずかしながら私は今回初めて知りました。今回の大会を通じ様々な障害を乗り越える「人間の潜在能力」と、その支えとなる「科学の寄与」に強い感銘を受けました。
世界保健機構(WHO)によると、世界人口の約15%に当たる約12億人が何らかの障害を抱えています。そして平均寿命70歳以上の国民は、平均で約8年間、即ち人生の約12%を障害とともに生きており、長寿化に伴いこの比率は今後一段と上昇します。障害は他人事ではありません。今回の大会を通じ、私たちは障害者との「共生社会」にいることを再認識したことは大きな収穫でした。
ご承知の通り、身体上の障害は英語で”Handicap”と言いますが、一般的には「不利な事柄・条件」を意味します。スポーツとは別の世界でも、人間社会では様々な “Handicap”が存在します。その中で特に私が気になるのは、我が国の「子供(18歳未満)の貧困率」の高さです。コロナ前の2018年は13.5%を占めました。1人親世帯では48%と経済協力開発機構(OECD)諸国38カ国中で最大値です。
日本語では例えば「私は日本で生まれました」と言い能動的な表現ですが、英語では“I was born in Japan”と受動的です。こちらの方が正確で、生れる子供には境遇とか環境に選択肢はないのです。中には貧困の中に生まれる子供もいれば、銀のスプーンをくわえて生まれる子供もいます。また後天的なものとして、身内の介護・世話に捉われ青春時代を犠牲にするヤングケアラーも、中学生で約17人に一人、高校生で約24人に一人いるとされています。
私たちは子供たちには出来るだけ「機会の均等」、すなわち結果は本人の努力次第で異なるとしても、「無限の可能性」にチャレンジするチャンスを、可能な限り平等に与えてあげたいものです。