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2021年10月01日

体験から学んだ中国観(2)― 鄧小平国家主席に謁見

私は今から45年前の1976年に初めて中国を訪問しましたが、それ以来、少なくとも30回は訪れ、その急速な発展を目の当たりにしてきました。前職時代の1985年に北京、上海に拠点を開設し、在職中は様々な人たちに会い、上海、常熟、青島、大連等でいくつかの合弁事業を立ち上げ、数多くの契約書にもサインしました。 

また、仕事の傍ら、上海・旧日本租界の中にあった生家、北京近郊の万里の長城、それに秦の始皇帝とその兵馬俑や唐代の楊貴妃で有名な西安等、地方都市も訪れました。大連近郊の旅順では203高地を訪れ、司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」の舞台をつぶさに見て回り深い感銘を受けました。また車で江蘇省・連雲港から上海まで、約13時間掛け南下した際は、世界遺産となっている「京杭大運河」(北京から杭州まで全長約1800km )に沿って走り、途中、黄河に架かる橋を渡り、揚子江(長江)は船で渡りました。そしてその広大な大地と、二つの大河を背骨のように縦に横断する運河を、紀元前から数百年掛けて構築した歴代皇帝の、壮大な国造りに感服しました。 

以上のように中国に関しては数々の思い出があります。その中で特に印象に残っているのは1988年12月(天安門事件の前年)、故・桜内義雄先生(衆議院議員自由民主党)を団長とする、国際貿易促進協会の訪中団に参加したことでした。当時私は46歳、鴻池運輸の副社長でした。参加した理由は桜内先生に随行すれば、中国の「中興の祖」と敬愛される、鄧小平国家主席(当時)に謁見できると考えたからです。

そしてそれは1988年12月2日、北京市内・人民大会堂の一室で実現しました。鄧小平国家主席(当時84歳)は人民服姿で、ゆっくりと会見場に入ってこられました。160㎝くらいの小柄でしたが、眼光鋭くかくしゃくとされ、これまで幾度か処刑されかねない修羅場をくぐってこられただけあって、独特のオーラを感じました。 

会見での話題は古今東西に及びましたが、今も印象に残っているのは国家主席が、中国の目覚ましい経済発展を示す指標として、「現在、我が国に於いて食うに困る人民は6000万人に過ぎない」と言われたことでした。この数字は日本の尺度では全人口の約半分です。 ところが中国では当時の全人口約12億人の約5%、つまり20人に一人です。 それなら当時の中国の状況を考えますと納得の行く数字でした。私はこの会見を通じ、中国と日本では「物差し」が違うことを痛感しました。そういった意味で鄧小平国家主席への謁見は、私の中国観に大きな影響を及ぼしました。

会談後、国家主席は団員1人1人と握手されました。私は「君は若いね」というお言葉と柔らかい手の感触を今も覚えており、その時の写真を大切にしています。

 

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