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2021年11月19日

大谷選手のMVP受賞を祝す(21)

米プロ野球、ア・リーグ・エンゼルス所属の大谷翔平選手(27歳)が予想通りというか、日本人の期待通り、本年度の栄えあるMVP(最優秀選手)を受賞しました。日本人選手では2001年のマリナーズのイチロー選手以来20年ぶりのことで、誠におめでたいことです。
これは大谷選手のたぐいまれな才能に加え、弛まぬ「努力」のたまものであることは間違いありません。一日は24時間、一年は365日、これは国籍、人種、身分の上下、貧富や年齢を問わず、万人に平等に例外なく与えられた条件です。この時間の制約がある中で、それをどう使うかにより結果が変わってきます。何かに時間を使えば、別の何かを犠牲にせざるをえません。例えば他の人が人生をエンジョイしているときも、ひたすら練習に励むといった、正に求道者の精神が求められます。
そして私は「努力」には二つの種類があると考えています。一つは他人から「見える努力」、もう一つは他人に「見せない努力」です。どんな分野であれ、一流というか、頂上を極めた人たちは、恵まれた才能に加え、この「見せない努力」が並大抵ではないと思います。当然のことながら、人並みの努力では厳しい競争社会で抜きん出ることはできません。有名な発明王エジソンも、「天才とは99%の努力と、1%の霊感」という言葉を残しています。
なお、大谷選手はインタビューの中で、野球関係者や、満票で選出してくれた全米野球記者協会、並びにケガの手術をしてくれた医師、さらに自分を受け容れてくれた米国社会と野球界への感謝の気持ちを述べました。その姿勢は奢ることなく、終始一貫、謙虚さ・さわやかさそのものでした。その中で私が特に感服したのは「自分を受け容れてくれた米国社会への感謝」の気持ちです。

今では日米両国民とも相手国に対する好感度80%を超えかつてなく良好です。しかし私が米国(ニューヨーク)にて勤務した1980年頃はそうではありませんでした。日米繊維紛争といわれる貿易摩擦は既に終わっていましたが、当時は日本から乗用車が洪水のごとく米国に輸出され、連日、テレビではデトロイトの自動車関係の労働者が、日本車をハンマーで叩き潰す映像を流していました。
こういった雰囲気の中で、1980年の全米オープン・ゴルフ・トーナメントは開催され、日本から出場した青木 功選手は米国のゴルフ界で帝王と称されたジャック・ニクラウスと4日間闘いました。3日目が終わった段階で両者は同スコアで並び、勝負は最終日に持ち越されました。私はその3日目を現地で観戦し、最終日のチケットも持っていましたが、テレビ観戦に切り替えました。それくらい米国人のニクラウスへの思い入れは強く、そのころ米国では無名に近かった青木プロがひょっとして優勝した場合を考えると、身の危険を感じたからでした。結果的には青木プロは2位で終わりました。翌日の日本の新聞には「青木、惜しくも2位」と大きく掲載されましたが、私たち駐在員にとっては「価値ある2位」でした。

このようにスポーツといえども、ただ強ければよいのではなく、「受け容れられるかどうか」は、その時々の政治・社会情勢に大きく左右されるのです。今やゴルフでは松山英樹プロや、野球でも多数の日本人プレイヤーが活躍しています。しかし中には力及ばず、志半ばで帰国した選手も数知れずです。
次号からは少し、米国での生活体験やビジネスを通じて感じたことについて触れたいと考えています。

 

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