阪神・淡路大震災が発生して以来、早や27年が経ちました。発生日時は1995年1月17日、午前5時46分、震源地は兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡、最大震度は7(マグニチュード7.3)、この地震による死者数は6434名、負傷者は約4.4万人、全半壊家屋数は約25万棟、被害総額は約10兆円規模でした。
この地震発生時、私は鴻池運輸㈱の社長職にあり、中国・北京に出張中でした。従って、兵庫県の住民ですが、実はこの震災を経験していません。日本と北京の時差は1時間、宿泊先のホテルに現地駐在員から電話で、「神戸が大変なことになっている」と聞き、急いでテレビの日本語放送にチャンネルを合わせました。そこで先ず目に飛び込んできた光景は、なぎ倒されている高速道路の映像でした。
私は地震発生から2日後に帰国しました。関西空港は既に離着陸が可能な状態で、最終着陸態勢に入る前、搭乗機は神戸-大阪を結ぶ海岸線と平行に飛行しました。上空から見ると神戸近辺で多数の黒い煙がまるで「のろし」のように空に向かって立ち昇っていました。阪神・淡路大震災では、東日本大震災のように津波は発生しませんでしたが、火災による被害が甚大でした。そして数日後、被災地を訪れた際、目にしたのは跡形もなく崩れた民家の上に、屋根瓦がそのまま圧し掛かっていたり、多層階ビルの2~3階部分が、上層階の重みで無残に潰されている光景でした。会社では直ちに緊急物資輸送の許可を取り、ともかく被災地に「水を届けること」を最優先として、全国から給水車をかき集め救援活動にあたりました。また線路上を徒歩で手持ちによる救援物資輸送も行いました。
戦後、我が国では1948年6月に発生した福井地震(マグニチュード7.1、死者数3769人)がきっかけで、「震度7(激震)」が創設されました。その後、阪神・淡路大震災のほか、東日本大震災(2011年3月)、熊本地震(2016年4月)と巨大地震が発生しました。中・小規模の地震は我が国では殆ど毎日どこかで発生しています。また、近い将来、首都直下型地震や、南海トラフ地震、日本海溝・千島海溝沿いで巨大地震発生の可能性と、恐ろしいほどの被害予想が公表されています。これら大地震は歴史的に見て、時期は断定できませんが必ず発生すると考えておかなければなりません。
我が国は地震や津波のほか、多数の活火山、台風、落雷、竜巻、豪雨、土砂崩れに加え、先日のトンガの海底火山や、メキシコや南米等、はるか遠くで発生する地震・噴火による津波のリスクもあります。日本に住む限り逃れられません。また、今まさにそのさなかにあるコロナ・ウイルスのようなパンデミックもあります。様々な事故・事件もあります。私たちは毎日、こういったリスクと隣り合わせで生活しているのが実態です。「災害は忘れたころにやってくる」という戒めがありますが、過去の経験・教訓を風化させない工夫が大事です。皮肉なことに災害や事故は構えている時は来ず、ちょっとした気のゆるみ・スキを突いてきます。また「自然に真っ向から立ち向かう」のではなく、「自然の力を知り、畏れ、共生を図る」ことが大事だと思います。
なお、災害や事故が発生すると「マニュアルは作成していたか」とか、「マニュアル通りやったか」が問われます。しかし災害も事故も必ずしもマニュアル通りにはやってきません。現場の状況は千差万別で刻々と変化します。災害時は交通・物流・通信網も寸断されることがあります。従って最終的には現場に居合わせた人の咄嗟の判断に依ります。そのためには平素から様々なケースをシミュレーションし、状況に応じ最適解を見出す訓練をしておくことが大事です。
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