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2022年08月19日

終戦の日に想ったこと(56)

今週8月15日(月)は77回目の終戦記念日でした。当時、私は満3歳を目前にした幼な子で、戦争のことは全くと言っていいほど記憶にありません。ただ記録によると終戦の10日前の夜半から未明にかけ、そのころ住んでいた芦屋市がB29の空襲を受け、1500発の焼夷弾が投下されました(阪神大空襲)。おそらくその時のことと思われますが、父親に背負われ畑の中を逃げた、前後のない一瞬の光景が夢・幻の如く脳裡に浮かびます。この空襲で家族は幸い無事でしたが、当時住んでいた社宅は家財もろとも丸焼けになりました。文字通り「茶碗一つ、箸一本からの再出発だった」と母から聞きました。 

以上のように私は戦前派(1945年以前の生まれ)の端くれです。この世代は昨年10月1日現在で約1700万人となり、この10年で1000万人以上減り、全人口に占める比率も約14%に下がっています。正に「昭和は遠くなりにけり」というのが実感です。そして特に思い出すことは、「餓鬼」と称せられる最も食べ盛りの年頃の食糧難です。「暖衣飽食」の今日では想像できないことです。「三つ子の魂百まで」と言われますが、こういった自らの幼時体験から食べ物に関しては、「有るだけ幸せ」で好き嫌いは全くありません。 

もう少し、思い出すままに記しますと、ある時、進駐軍の兵隊から板チョコをもらって食べた時に、「こんなおいしいものがあるのか」と思ったことと、その時に鼻血を出した記憶があります。着るものも新品ではなく誰かのお古。私だけじゃない、殆ど皆んな同じように厳しい暮らしでした。学校も校舎が焼失し教室が足りない。そのため午前と午後の二部学級でした。また、シラミ駆除でDDTの白い粉を頭から吹き付けられたこともありました。戦争孤児も多かったし、原爆でひどいやけどを負った生徒もいました。遠足でも弁当がない子もいました。そして人で賑わうところへ行くと、白い上っ張りを着て戦闘帽を被り、義肢・義足で浄財を乞う、戦地から帰った傷病兵で溢れていました。当時のことを思い出しながら、菊田一夫作詞・古関裕而作曲「鐘の鳴る丘」を聞くと、今でも思わず涙が出そうになります。 

現在のウクライナの国民も同じ思いをしている筈です。近代の戦争は無差別の大量殺戮が行われ、その被害を最も受けるのは一般市民です。従って戦争は絶対にすべきでないし、ましてや「負けいくさ」などもってのほかです。 

なお、私は53年前に初めて人類が月面に降り立ち、宇宙に浮かぶ地球の姿をテレビ画面で見たとき、これで人類の世界観が変わり、ちっぽけな地球上でつまらぬ争いはなくなると期待しました。ところが依然として国家体制、人種、宗教、領土を巡る紛争は無くなっていません。私はその根底には、先人の教え・戒めを守らず、いつの間にか「傲慢・慢心」に陥る人間の「性(さが)」があるように思います。それが「歴史は繰り返す」要因ではないでしょうか。 

今後、世界は自由主義・民主主義陣営と、中国・ロシアを柱とする全体主義・専制主義の対立、そして国益第一で旗幟を鮮明にしないグループという三極体制が長く続くと思います。また、新興国では紛争や貧困により地政学的リスクが増大し、政情が不安定化しており、今後、我が国は外交と安全保障について難しい舵取りを迫られるでしょう。油断していると、かつてのヒットラー、最近ではプーチンのような狂信的な人物、国家が出現することを歴史は示しています。 

一方、国内では少子高齢化、人口減少、そして厳しい財政状況等、多数の構造的な問題が存在します。こういった国内外の情勢は企業経営にも有形無形の影響を及ぼします。特にこれまで世界経済と貿易の発展を支えてきたグローバル化(企業の海外進出・投資)は、その有り方が問われます。 

いずれにせよ決め手になるのは経済力と先端技術力、そしてそれを支える人材力です。今こそ政治家は言うに及ばず企業人も原点に戻り、「アニマル・スピリット」(企業家魂)を発揮し、歯を食いしばって頑張らなければならない時です。 

《追伸》依然としてコロナの第7波が収まらず、病床はひっ迫し自宅療養を強いられている患者が増加しています。猛暑による熱中症も多発しています。そして地域によっては記録的な豪雨による被害や、地震も毎日のようにどこかで発生しています。また、地球温暖化がもたらした異常気象は世界各地で見られます。何を差し置いても「自分の身は自分で守る」心構えが必要です。
くれぐれもご自愛されますように!

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