毎年この時期恒例の第一生命保険㈱が募集する、「サラっと一句! わたしの川柳コンクール」のベスト10が発表されました。それによると、1位は「増えるのは 税とぜい肉 減るぜいたく」、2位は「物価高 見ざる買わざる 店行かず」、―――中略―――、10位が「2度聞くな! 言った上司が 3度聞く」でした。
川柳は俳句と異なり季語はなく、その時々の世相を風刺する、いわばブラック・ユーモアですが、時々、「これはうまいなあ」という句に出会うと思わずニンマリします。何年前だったか正確には憶えていませんが、「粗大ごみ! 朝出したのに夜帰る」というのがありました。「そんな風に言われないようにしなければ」と思いました。
■■最近想ったこと・注目したこと:
■学生時代の友人から送られてきた「自虐メモ」:
川柳はユーモアと温かさを感じますが、先日、大学同期の友人から「自虐メモ」と題するものを送ってきました。タイトルは「18歳と81歳の違い」ということで、年齢的にはちょうど私と孫息子の関係です。少し紹介しますと、「18歳―恋に溺れる、81歳-風呂で溺れる」、「18歳―人生につまずく、81歳―小石につまずく」、「18歳―道路を暴走する、81歳―道路を逆走する」、「18歳―知らないことが多い、81歳―忘れたことが多い」、「18歳―自動車の免許証が取れる、81歳―免許証の返納を勧められる」。このほかにもまだまだ具体例があるのですが、まさに自虐的で身につまされるのでこの辺にしておきます。
こういったことが現実の姿と重なる背景として、少子・高齢化が急速に進んでいることが指摘されます。昨年の出生率は1.20に止まり、1899年以降過去最少だったのに対し、65歳以上が総人口に占める比率は29.1%(2023年度)と高齢化が急速に進んでいます。そして厚労省によると2022年の日本人の平均寿命は男性81.05歳、女性87.09歳ですが、問題は平均寿命と健康寿命との年数の差です。健康寿命とは「日常的・継続的・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間」と定義されています。日本人の場合、男性が約9年、女性は約13年、平均寿命が健康寿命を上回っています。つまりこの間は何らかの形で生活支援が必要と言うことになり、「介護離職」や「ヤングケアラー」といった社会問題が生じているのです。
我が国では長寿は昔から「めでたい」こととされ、「敬老の日」も制定されています。その一方で「子どもは来た道、年よりは行く道」と言われるように、誰でも長生きすれば例外なく「老い」がやってきます。先日、二階・元自民党幹事長が記者会見で若い記者から「引退は歳のせいですか」と聞かれ、「お前もいずれはこの年になるんだよ。バカッ!」と言いましたが、私にはその心情が伝わってきました。
なお、長寿自体はめでたいとしても、「バラ色の老後」が保証されているわけではありません。国の危機的な財政状態を考えると、それを国に求めるのは残念ながら無理です。従って国民一人一人が40歳を過ぎたくらいから、「フレイル」(加齢により心身が老い衰えた状態)にならないよう心掛ける必要があります。私はこれは「国民的義務」だと考えます。もちろん「弱い立場の人」を助けるのは健常者としては当然です。しかし可能な限り自立していけるよう自分なりに努力することが先ず第一です。
私自身も起床後、毎日深呼吸を20回、それと2日続けて1日休むというペースで、ゴムバンドを使う我流のストレッチにスクワット、片足立ち、そして仕上げはゴルフクラブの素振り等を約30分しています。これなら2畳の広さがあれば十分、天候にも左右されずホテルの部屋でも可能です。昔から「継続は力なり」といいますが、逆に「継続できることを継続する」ことがよいように思います。高い会員料を払っても、その場所に行くのがおっくうになり、いつの間にかやめてしまうのでは意味がありません。
■中国経済とデフレ(安値)輸出:
1989年6月4日、北京の天安門前広場で学生の民主化運動に端を発した「天安門事件」が発生して以来、35年の歳月が経ちました。この事件の真相は、「一体、何人の犠牲者が出たのか」を始め、未だ明らかにされず封印されたままです。当時、急死した胡耀邦総書記を引き継いだ趙紫陽総書記は、学生の要求に理解を示しました。ところが最高指導者・鄧小平国家主席(在任:1978/12~1989/11)はこれを「暴乱」と位置づけ、徹底的な弾圧に転じたため歴史に残る天安門事件が起りました。
この事件を契機に、1976年まで10年吹き荒れた「文化大革命」の後、改革開放政策に転じ順調な成長を続けていた中国経済は、国家による統制が強化され厳しい景気低迷に陥りました。その後、1992年1月~2月、鄧小平氏が武漢、深圳、珠海、上海を視察し、有名な「南巡講話」を発表したことを機に対外開放に転じました。そして2桁の高度成長が続き、2010年には日本のGDPを抜き、今では4倍の規模となり、米国に次ぐ世界第2の経済大国となっています。因みにIMFの統計によると2023年の世界のGDP(名目)に占めるシェアは、1.米国26.1%、2.中国16.9%、3.ドイツ4.3%、4.日本4.0%、5.インド3.4%でした。
しかし今や中国経済にかつての勢いを失い国内需要は低迷しており、過剰設備・過剰生産から鉄鋼製品や太陽光パネル、そしてEV(電気自動車)を中心に大量に安値輸出し、西側経済に深刻な影響が出ています。一方、国内では格差拡大や若者の失業問題、高齢化の進展等内部矛盾が顕在化しています。そういったこともあって対外的には覇権主義、戦狼外交を露骨にし、米国に対抗すべく軍事力を強化しており、我が国や台湾、韓国そしてアジア周辺諸国にとって脅威となっています。
中国は共産党が一党支配しており原則を譲歩することはなく、例え結果が間違っていても「非を認める」ことはありません。そしてその頂点に立っているのが習近平国家主席です。台湾問題についてもこの点に留意する必要があります。今や周辺国が中国の暴走を止めるには個別対応ではなく連携した防衛政策が不可欠です。
私が生まれた時(上海)は別にして、初めて中国を訪れたのは1976年11月、「秋季広州交易会」参加した時です。そして1988年12月2日には人民大会堂で鄧小平国家主席、並びに後継の江沢民氏(1989/11~2002/11)に謁見し、直接考えを聞きました。また、前職時代には1985年に北京、上海に駐在員事務所を開設し、その後も毎年1・2度、現地を訪れ、そして合弁会社も何社か設立しました。
これまで50年近く激動する国を目の当たりにしてきたという点では生き証人のような存在と自負しています。同時に、大きく変貌した中国と今後どう対応していくか、我が国にとってきわめて重要かつ難しい問題であることを痛感しています。