7月26日から8月11日までの日程で始まったパリ2024オリンピックは、いよいよ佳境に入ってきました。既に競技が終った種目も多数あり、日本チームはこれまで金メダル8個、銀メダル3個、銅メダル5個(日本時間8月2日午前7時現在)と期待に違わぬ大活躍です。そして見事メダルを獲得し、喜び溢れる選手の一方で残念ながら力を出し切れず、悔し涙を流す選手など悲喜こもごもです。オリンピックは「参加することに意義あり」といわれますが、やはり国の栄誉が懸っているので、メダル獲得は格別な思いです。
そして競技終了後、今日に至るまで支えてくれた周りの人たちへのアスリートの感謝の言葉や、すがすがしい表情、そして更なるチャレンジへの決意はグッと胸に迫り、改めてスポーツが私たちにもたらす素晴らしさに感動します。いよいよ後半戦に入りますが、まだまだ競技は続きます。睡眠不足を我慢しながら応援したいと思います。
■■最近想ったこと・注目したこと:
■政治と国民の在り方について:
領土や国土は地球が存在する限り形が変わっても存続します。ところがそこに住む人類を始めとする生き物は、例外なく命に限りがあり地球上での存在はほんの一瞬です。そういった定めの下で人類は地球環境の変化に対応し、絶滅することなくこれまで何百万年も命を受け継いできました。しかし過去の歴史を見ると、特に近代は概ね100年(3世代)くらいの周期で偏執的な独裁者や狂信的な指導者が現われ、様々な形で歪(ひずみ)や争いが生じ、それを精算するような形で戦争が起こっています。今はその淵にあるような気がします。
なお、国家や経済は人類とともに存在し、成長や衰退といった浮き沈み(栄枯盛衰)を繰り返しますが、生身の人間とは異なり何度でも蘇生・再生が可能です。今の日本は敢えて言えば衰退期にあります。しかし必ずや再び光り輝く時代はやってきます。そのためには痛みの伴う外科手術や、日ごろからの体質改善への弛まぬ努力が必要です。そしてその役割を担うのが政治と、現状への国民の自覚と意識改革です。
しかし政治はどの程度期待に応えているでしょうか。全議員とは言いませんが、少なからぬ議員が「政治家」(Statesman)ではなく、「政治屋」(Politician)に成り下がっています。私たちは誰しも「何かを達成するには何かを犠牲にする」覚悟が必要です。政治家になったら「地位・名誉・色恋・金」、すべて手にできると思うのは筋違いです。ところがそのように錯覚しているような議員が目につきます。一体、「志」はどこへいったのでしょうか。
一方、国民の政治への関心も低すぎます。それを象徴するのが選挙での低い投票率、特に若い世代が問題です。もっと政治の在り方に厳しい目を向けるべきです。
43歳で就任し46歳で暗殺されたジョン・F・ケネディ米国第35代大統領は、1961年1月の就任演説で国民に、「米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何が出来るかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何が出来るか問うてほしい」といいました。現在においても、この言葉は私たちにも突きつけられているように思います。
■我が国で見られる真夏の夜の厳しい現実:
◎JRの座席で死亡した乗客に気づかずに12時間走行?:
今年5月の夜、JR小田原駅に着いた電車内の座席で、「男性が亡くなっているのを駅員が発見した」という記事がありました。男性が乗車したのは死亡のおよそ12時間前だったようです。その間、異変に気付いた人はいませんでした。同列車の定員は約2千人。渋谷、新宿、池袋駅などを通る「湘南新宿ライン」で、宇都宮駅で折り返した後は上野、東京、品川駅を通る「上野東京ライン」として運行し、この日は3回折り返し合計652km走行しました。その乗客は午前8時頃渋谷駅で乗車後心筋梗塞で亡くなり、そのまま誰にも気づかれず座席にいたようです。このように私たちは大都市の雑踏の中で周囲のことに無関心というか、社会常識から外れている振舞いと気づいても見て見ぬふりというか、面倒なことに関わりたくないという風潮がみられます(自戒を含め)。些細なことでブチ切れる最近の世相を考えると、それもやむを得ないかと思いますが、このままでは日本の社会はどうなっていくのでしょうか。
◎多死社会にみられる現実:
最近の我が国は子どもが1人生まれる一方で2人亡くなるという、少産・多死社会となっています。それとともにいろいろな事象が出てきています。
警察庁によると、本年1~3月に一人暮らしの自宅でなくなった65歳以上の高齢者が(孤立死・孤独死)約1.7万人いました。年間ベースでは6.8万人です。
そういった中で、様々な形で亡くなった方の遺体の引き取り手がないケースが増え、新たな社会問題となっています。しかも名前も住所も明確に分かっているにも関わらずです。引き取り手がない遺体の扱いを定めた墓地埋葬法は1948年に制定されました。ところが当時は家族や親族がいるのに、誰も引き取らない事態は想定していませんでした。我が国では入院や施設に入所、それに介護保険にしても家族の存在が前提となっています。しかし家族の在り様は急激に変わってきています。今や時代や環境の変化に対応できない、いわゆる制度疲労が様々な分野で生じています。
◎認知症、迫る「7人に1人」と介護人材の不足:
厚生労働省の発表によると、認知症の患者数が2030年に523万人に達する見通しです。これは2022年比80万人の増加で高齢者(65歳以上)の7人に1人となります。さらに団塊ジュニア世代が65歳以上になる2040年には584万人に達するとされています。これに伴う最大の課題は介護人材の確保です。推計によると2040年度に必要な介護職員数は約272万人で2022年度時点の215万人と比べ約57万人の不足が見込まれています。介護職員の月平均賃金は全産業平均を約7万円下回ることから人材の流出が続いています。そのためホームヘルパーの有効求人倍率は15倍超に達しています(2022年度)。賃金・労働環境の改善と、そのためのDX・AIの積極的導入、それに外国人労働者受け入れのための環境整備が喫緊の課題です。
厚労省によると、昨年の日本人の平均寿命は3年ぶりに延び、女性が87.14歳(世界1位)、男性が81.09歳(同5位)となりました。コロナの影響が縮小したことによります。今や「人生100年」時代。そして「子どもは来た道、年寄りは行く道」です。長生きすれば誰にも「老い」はやってきます。個人レベルの自助努力に加え、政府の制度面・資金面での拡充・支援が必要です。